雑 多 な 備 忘 録

19年6月8日◆GADORO-SUIGARA RELEASE TOUR

ヒプノシスマイク・神宮寺寂雷のソロ曲『迷宮壁』からGADOROさんを知って、ライブに行った話と思ったこと。ライト層による目線と主観の個人的な日記のようなものです。
プライベッター( https://privatter.net/u/_msms_zzz )にアップしていたものを加筆修正した備忘録です

 

 

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GADOROさんが強すぎる。

 

彼のアルバムを手に取ったキッカケは『ヒプノシスマイク』に出てくるキャラクター『神宮寺寂雷(CV.速水奨さん)』のソロ曲、『迷宮壁』の歌詞の凄まじさに驚き「何者だ?」と気になったこと。

『音韻臨床』の前にリリースされた、『BAYSIDE M.T.C』に携わった作詞作曲陣が『横浜という土地』に所縁がある方が携わっていたこともあり、GADOROさん本人と『新宿という土地』、『神宮寺寂雷と共通点はあるのか』など関係性が気になったこと。

そして、歌詞提供に対してのささやかな感謝費なども含めていた。

これらの好奇心を更にかきたてられたのが、ニコニコ動画にアップされている音韻臨床のトレーラーに、GADOROさんのファンであろう人の「なんでGADOROが!?」「歌詞がGADOROそのまま」というコメントが残されていたこと。

こういった、いわゆる『二次元コンテンツ』と『ヒップホップ』という音楽や文化の間にある壁は、とても分厚いものだと思っていたので、彼のファンも聴いてくれていることも驚きだった。(当時本人からヒプマイのヒの字も出していなかったので…)

 

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改めて振り返ってみると『音韻臨床』のリリースと、彼の2ndアルバム『花水木』のリリースのタイミングがほぼ同時期だったので、アルバムのプロモーションも兼ねての参加だったのかな…とも思う(あくまで憶測)

迷宮壁の歌詞と、花水木に収録されている曲の歌詞を書いていた(もしくは収録)時期もきっと同時期なんだろうなあとも思えて、色々感慨深い。(後々に発売されたananでの麻天狼特集にあった彼のインタビュー[※]に『僕そのものだと思って歌詞を書いた』という旨があって更に頭を抱えることになる)
※神宮寺寂雷先生と『迷宮壁』とGADOROさんの話( https://privatter.net/p/4389177 )

GADOROさんのアルバムに関しては語れば語るほど陳腐なものになってしまうので割愛。とにかく聴いてみてくださいとしか言えない。

 

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ヒプマイを追い始めてから、備忘録も兼ねて感想を残すようにしている。

というのは、ヒプマイの制作陣=『レーベル』しかり、作詞・作曲陣は『エゴサの鬼』ということは『ロキノン界隈』を通って来た身ゆえに存じていたので、本人にまで届くかはさておき、良いと思ったことや、面白いと思ったことはその旨を、拙いながらも応援の声として、アクションをしておこうと思ったからだ。(結果として二次元コンテンツとして爆発的な人気を得たので、そんな必要はなかったのかな…と今は思う)

 

個人的なエゴなのは重々承知の上ではあるが、彼のアルバムを実際に聴き、圧倒されて以降、更にヒプマイというコンテンツに参加してくれたことに対し、GADOROさんへどう感謝をすればいいのか分からなかった。

CDも買った、カラオケで曲(カラ鉄での領土争いのアレ)を入れるなどもした、ヒップホップ界隈にはきっと『ファンレター』という文化はないだろう、となると残るは『自分の足でライブに出向く』しかないという結論になり、タワレコでのアルバムリリースのインストアライブを経て、今回のワンマンライブにも行きました。

 

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本当に素晴らしいライブだった。勇気を出して行って良かった。色んな条件や客層のテンションが合致し、熱量にあてられて涙できるライブはなかなか出会えるものではないし、幸運だと思う。

コロムビアに移籍してリリースした3rdアルバムを引っさげての今回のツアーライブ。

本人も「ライブ会場のフロアがガラガラだったころを思うと今日のライブは感慨深い」と仰っていたが、彼をずっと追ってきた人たちにとっても感慨深く、大泣き案件のライブだったろうなと思う。

 

「最近GADOROさんが遠くに行ってしまうような感じがして寂しいって言われる。でもおまえらが立てた中指が見えなくなるくらい遠くに行かせてくれよ」

「俺には音楽に救われた。音楽しかない。だから俺は俺の音楽で真正面からお前らと向き合う」

という旨のMCにも泣かされた。

本人は「小手先の拍手や歓声なんていらない」と繰り返し仰ってて(ライブにおける決まり文句なのかもしれない)、それに対し、ライブが終わって会場が再び明るくなるまで、ずっと鳴り止まない拍手にもグッと来た。

あの絞り出すように訴え、叫ぶようなMCや歌にはただただ圧巻だし、熱量で火傷する。ヒプマイを引っ張ってきた木村昴くんが『経験がモノをいう世界』と繰り返し言っていたけども、こういう事なのかな?という体感できたような気がした。

 

個人的にライブ(もちろんジャンルにもよるとは思う)は皆でワイワイ盛り上がるというよりも、演者の熱量を直接浴びることができる場、自分で言語化できない感情を音楽で表現してくれるというか、ちょっとした駆け込み寺のような感覚なんだけども、ひさびさに良い意味で各個人が自由に楽しめるライブを味わえた。盛り上がりながらも、平和というか、気持ちが穏やかだった。

 

ライブ中、GADOROさんが具合悪くなってしまったお客さんを真っ先に見つけ、「音楽止めて!え?どうした?号泣しすぎた?(※空耳かもしれない)大丈夫?ちょっとスタッフ誘導して!」と、自分のライブよりもお客さんを優先したのも感動してしまった。(急病人とは気づかず、ライブ中にこういう無茶ぶりされるのか〜と一瞬思ってマジで申し訳ない…)

会場のスタッフが誘導しがてら「(ライブを)続けて!」って叫んでたんだけど、お客さんが捌けるまで「大丈夫かな…」ってステージからずっと見届けるGADOROさん…。

本人は「俺はどうしようもない人間だし全然優しくなんかない」と言うけども、すごく優しいひとだと思う。

 

中断した曲がシットリと聴かせる曲で「途中からやるのもなあ…どうしよ」ってオロオロしていたのも少し意外だったし、「がどろ〜!金髪見せて〜!」「2秒でいいから〜!」という客席からの声に「絶対に見せない」。「からの〜????」という、お客さんとの掛け合いにも笑った。アットホームか。歌っている時とのギャップの温度差がすごい。

速水さんがマイナビでのインタビューで「ラッパーはキュートなひとたち」と仰っていたことを思い出した※。

※男性声優ラップバトル『ヒプノシスマイク』短期集中インタビュー連載
第2回:速水奨「ラッパーってキュートな人たちだと思う」( https://news.mynavi.jp/article/20171215-hypnosismic/ )

 

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バチバチの曲もあれば、シットリする曲もあって、家族に対しての曲もある。

「天国ってところは凄く良い場所らしい。もうずっと帰ってこない」というMCから、おばあちゃんに向けた歌は涙腺が緩む。ライブだと更にすごかった。

「酷い事もしてきたクズだ」と彼は言うけど、確かに本人にしか分からないし、実際はそうなのかもしれないけども、それらの後悔だとか感謝だとかを全部晒しだして、音楽を通し伝えている姿は凄くカッコイイというか、とにかく凄い。なかなかそう簡単に出来ないことだと思う。

 

音楽しかり、演者しかり、「その人にしか出来ない」「真似が出来ない」だとか、「個が確立しているサマ」を目撃してはグッとくる。GADOROさんの曲にもそれらを感じる。ヒップホップだとかロックだとかテクノだとかアイドルだとかアニソンだとか、色んな音楽のジャンルはあれど、GADOROさんは『GADORO』というジャンルを確立している気がしてならない。

 

当たり前ではあるが、そもそも『本心』は『本人』にしか分からないことだし、こういう事を美化したように話すなと怒られるのかもしれないけども、それでもやっぱり実際にライブでのあの光景を見て、めちゃくちゃカッコよくて、『強い…』と思える出来事だった。すごかった。

 

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「努力は人を裏切らない…という言葉に散々裏切られて来た」からの「今の自分を見といてくれ」という言葉が本当に印象深くて、その言葉を『迷宮壁』にも「幾度となく流してきた血や涙 それらはいつしか糧となり力になる とは決して言い難い」「今に見とけではなく今の私を見てくれ」と、歌詞に落とし込んでくれたことも、とんでもない出来事だと改めて思う。

絶対に自分の言葉とか信念をだとかを曲げないような人に見えるから、考えれば考えるほど頭を抱えてしまう。

 

ライブ後に友人とも話したことだけれど、何故ヒプマイの仕事を受けてくれたのかが分からない。冒頭でも書いた、自身のアルバムプロモーションも一つの理由だったかもしれない。しかし、ananでのインタビューや、今回のライブを経て、第一は『音楽』だったからなのかな…。ということに落ち着き始めている。

『迷宮壁』の歌詞を提供してくれていなかったら、きっと彼の音楽は知らないままだっただろうし、日本語ラップに対しても、興味の自我は芽生えないままだったと思うから、本当に参加してくれてありがとうございます…という気持ちで一杯。

 

またGADOROさんに歌詞を書いてもらいたいなあと思うけども、どうなんだろう。

堂々と『音楽が好きだ』と言えない後ろめたさに悩んでいる人間ではあるが、個人的にヒプマイは『音楽コンテンツ』として、キャラやキャストさん、作詞作曲陣ひっくるめて応援してきた。けれど、最近は興味や関心が『音楽』よりも『キャラ』に傾いているのかなと感じることが多くなった。(楽しみ方はそれぞれなので、それが決して悪いというわけではありません。あくまで個人的な主観です。)

自分が好きなバンドやアーティスト、DJが作詞作曲陣として参加してくれたらいいなという願望もあったが、もし推しの参加が決まったら嬉しい反面、まるでいないような扱いにされたら…それはそれで複雑な気持ちになりそうだ。と、勝手に無いことを考えては悶々としている。改めて『音楽』や『在り方』についても考えさせられたライブだった。

 

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ニコ動のトレーラーにあったGADOROさんのファンと思われるコメントを思い出す。今はもう見れないコメントだけど、あのとき書き残してくれたことや、迷宮壁を聴いてくれたことに、優しいなと思ったけども、ライブ会場で感じた空気そのもので、なるほどと腑に落ちたし、ただただありがとうという気持ち。

 

youtu.be

「最後につかむものは胸ぐらじゃなくて このマイク でもなくて 誰かの手のひら」

『クズ』の歌詞にあるそんな一文に、彼と彼のファンの全てが詰め込まれている気がしてならない。そんなこの頃だ。